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神戸地方裁判所 昭和52年(ワ)870号 判決 1985年3月07日

原告

辻千恵

外三名

右原告ら訴訟代理人

西村忠行

藤村哲也

小沢秀造

薦田伸夫

樋渡俊一

被告

兵庫県

右代表者知事

坂井時忠

右指定代理人

井口博

外六名

被告

橘建設株式会社

右代表者

橘弘澄

右訴訟代理人

前田知克

主文

原告らの各請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1項のうち、(一)(1)、(2)及び(二)の事実はいずれも当事者間に争いがなく、(一)(3)の事実は被告会社の認めるところであり、被告県との間では<証拠>によりこれを認めることができる。

二右の事実に、<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。

1  本件河川は標高二二七メートルの増位山の頂上付近に源を発し、その平均勾配は標高一〇〇メートル以上の部分が約二〇度、それより下流の部分が約一八度であり、比較的急傾斜であるが、その周辺の山脈はいずれもこの程度の勾配を持つている。本件河川付近の標高約三〇メートル以下の部分には古くから民家の集落が存在している。

本件堰堤付近から上流部の本件河川付近の山腹は凝灰角礫岩(火山灰・火山砂・火山礫などの火山噴出物が集積・凝結してできた岩石)からなり、その表面はかなり風化が進んで軟弱であるが、岩盤は硬い。また本件堰堤付近では等高線が乱れ、その付近の本件河川の両岸周辺部には山腹の崩壊によつて生じた土砂が堆積した崩積層がかなり分布し、本件堰堤の下流部には扇状地堆積物が分布している。

2  本件河川付近では、同三四年及び同三七年ころに大雨による小規模な土砂崩れがあつたが、泥水が河川から溢れ出た以外には被害の発生はなく、それ以前において被害を伴つた土砂崩れなどが発生したことは知られていない。

同四九年本件工事現場付近で姫路市により松食虫駆除のため松の木の伐採が行われたが、その場所は本件災害にかかる土石流の発生場所とは異なる。

3  同四九年七月本件河川の周辺において大雨により流出した土砂や流木が本件河川の下流部にある暗渠部分に詰まつた結果、泥水が溢れ出し、付近の路上や数戸の民家の床下に一〇ないし一五センチメートルの深さで流入したが、建物の破損や人身への被害は生じなかつた。

被告県は右災害発生の日から約一〇日後に本件河川の下流部周辺の人家の密集区域からその最上流部に至るまで被害の発生や土砂流出の痕跡等の状況を調査し、その結果、山腹崩壊はなく、本件河川の上流部の比較的傾斜の緩い部分の溪床に堆積した土砂には流出する危険性がなく、その他の部分の溪床には土砂の堆積がなく硬い岩盤が露出していたが、上流部において溪岸の浸食による極めて少量の土砂の流出した跡が認められ、次期の出水により溪岸の浸食が進むことが予想された。

そこで知事は県土木部砂防課内における協議の結果、緊急砂防事業として国から補助金を得て本件河川に高さ6.5メートルの砂防堰堤を建設することを計画し、同月下旬建設省に対し同事業費の補助を申請した。

しかしながら、同事業は当該年度内に発生した風水害等により溪流に堆積した土砂の流出を防止するため緊急に必要最小限度の工事を行うことを目的とするものであり、建設省が同年度の同事業費補助の予算配分に関して定めた採択基準の一つの要件である「当該年度発生の風水害等により生産された土砂が溪流に堆積し、放置すれば次の出水により容易に流下し、下流に著しい土砂害を及ぼすおそれのある場合」については本件河川の右の状況はこれに該当するものとは認められず、また全国的にみて同事業費の補助を行うのが相当と判断された場所で生じた被害の程度に比較し、本件河川における右の被害は極めて軽微であるとみられたため、右の事業は不採択となつた。

4  そこで知事は、同五〇年度の通常砂防事業として本件河川に砂防堰堤の建設を計画し、建設大臣に対し予算措置を申請する手続を進めた。

知事は右手続を行うにあたり、本件河川に沿つてその上流部分(標高一四〇メートル)付近まで溪流の先掘状況や山腹の崩壊状況などについての現場調査を三回にわたつて実施した。その調査結果によれば、本件河川は本件工事現場(標高六〇メートル)付近では深さ二ないし三メートル、幅1.5ないし二メートルの溪流をなし、その溪岸部分には苔や草が生え、標高一四〇メートル以上の上流部では幅員が狭く浅くなり、溪岸及び溪床に岩が露出し、溪流に沿つて雑木や松の木が密生し渇水時にはほとんど流水のみられない状態であつた。

知事は右の結果に基づいて本件堰堤を設計し、その全体事業費を約六二〇〇万円として見積り、同事業の完了までに必要とされる標準的な工期の関係から同事業を二か年に分割して行うこととし、建設大臣から同五〇年二月ころ右事業を採択する旨の内示を受けた後、同年六月一日同事業の認可を受けた。

また知事は同年二月ころ建設大臣に対し本件工事現場付近につき砂防法二条所定の土地の指定を申請し、同年五月二七日同大臣によりその旨の指定が行われた。

知事は同年六月二四日地元住民に対し用地買収交渉等を兼ねて工法の説明を行い、同年七月一七日用地について地元住民の了解をえ、同年八月工事請負業者に対する入札手続を行つたうえ、同月三〇日被告会社との間で、同年九月五日から同五一年三月二三日までを工期とする本件一期工事の請負契約を締結した。

右工期については、後記仮設進入路設置に関する交渉に時間を要したこと及び予想外に岩盤が硬くその床掘り作業が難航したことにより、その後三回にわたつてその工期を改める旨の工事請負変更契約が締結され、最終的には同五一年五月三一日までと変更された。

本件工事については、当初ケーブルクレーンを利用してその必要資材の搬入を行う計画であつたが、被告会社などから落下による危険性が指摘されたため、仮設進入路を設けることとなり、同年九月下旬ころからその旨地元住民の了解を求めるための説明をし、用地の賃借に関する交渉を進め、同年一一月初旬にようやく協議が調い、同月二一日進入路が完成して本件一期工事が開始され、同五一年五月三一日右工事が完了した。

右工事にかかる掘削によつて発生した土砂のうち、その一部は建設省河川砂防技術基準に従つて堤体基礎部分などに埋め戻され、また残土は本件堰堤より上流部分右岸側で溪流の流水に影響を与えない場所に置かれた。

5  知事は同五〇年七月初旬建設大臣に対し本件二期工事の予算申請を行い、同五一年五月中旬建設大臣による右工事の事業認可を得て同年七月二〇日工事請負事業による入札手続を経由し、同月二二日被告会社との間で、同月二四日から同年一二月二〇日までを工期とする本件二期工事の請負契約を締結した。

被告会社の下請人である辻英男は同年八月からその従業員数名とともに本件二期工事に着手した。

右工事にかかる掘削によつて発生した土砂は本件堰堤上流部の本件河川右岸側の本件一期工事による残土が置かれた場所に均して置かれていたが、この土砂は本件災害の後もほとんど流出していない。

辻英男は同年九月九日は午前八時ころから午後五時ころまで工事を行つたが、本件堰堤は右工事完了当時その根入れの部分を含めて一〇メートルの高さまで完成し、残余部分の一部についてコンクリートを打設するための型枠の組み立てが完了し、同月一一日には同部分にコンクリートが打設される予定であつた。

6  被告会社は同月九日午後一〇時ころ激しい降雨が続いたため、辻英男に対し右工事現場を巡視するよう指示し、同人は午後一一時すぎころ右現場に到着した。

同人は同月一〇日午前零時ころ同被告や同人の従業員らに電話連絡をして右現場に来るよう依頼し、同被告の現場代理人である川上輝己及び主任技術者(現場監督)である後藤利行は同零時三〇分ころ到着した。

また同被告は同零時ころ被告県の姫路土木事務所に対し右現場の状況を見るよう連絡をしたが、同土木事務所の係員は本件災害発生後に到着した。

辻英男は同零時三〇分ころ本件堰堤に組み立てられた前記の型枠が流出して下流の暗渠部分に詰まることを懸念し、右川上及び後藤とともに本件堰堤まで登り、その通水口に土砂が詰まつていないことを確認した。

三永隆は、そのころ自宅近くの本件河川下流部の暗渠部分に流木等が詰まることを懸念し、その付近まで出かけた。

本件工事現場の近くにある光明寺の住職長谷清文はそのころ住民に危険を知らせるため本堂の縁側にある喚鐘を連打し、また地元の自治会長森下捨吉は地区内連絡用の拡声器で、住民に危険を告げ公民館への避難を勧告する放送をし、付近の住民約二〇名は公民館に避難した。

同一時ころ本件堰堤より上流部の本件河川付近の急峻な山腹において突然大規模な土石流が発生し、崩れた土砂や木の根が下流部の溪岸の浸食により誘発された山腹の崩壊による土砂とともに下流に向かつて一挙に流下し、前記の型枠の一部(本件堰堤の中央通水口より左岸側の部分)を押しつぶし、本件堰堤の既設コンクリート部分の上部から溢れ出た土砂等はさらに流下し、本件河川付近にいた辻英男、三永隆及び後藤利行をまき込んで本件災害が発生した。

(連続雨量)

降雨期間

降雨量

同月午後一時から同月九日午前六時

95.5

同月九日午後三時から同月一〇日午前一時

108.5

(一時間雨量)

降雨時間

降雨量

同月九日午後一一時から同月一〇日午前零時

16.5

同月一〇日午前零時から同一時

26.0

同日午前一時から同二時

29.5

神戸海洋気象台は左表のとおり気象情報を発表していた。

発表時刻

発表内容

同月八日午後三時五〇分

大雨注意報

同九時

大雨・洪水などの注意報

同月九日午前三時五〇分

大雨警報・洪水などの注意報

同九時一〇分

大雨・洪水などの注意報

午後七時三〇分

大雨注意報

午後一一時二五分

大雨・洪水などの注意報

同月一〇日午前一時一〇分

大雨警報・洪水などの注意報

本件災害発生前のその現場付近における降雨量の状況は左表(雨量の単位ミリメートル)のとおりであり、同月九日の二四時間雨量105.5ミリメートルは同二三年から同五五年までで第八位の記録である。

三鑑定人木村春彦の鑑定結果(鑑定書添付の資料を含む。)、<証拠>を総合すれば、土石流の発生についての一般的な知見として次の事実が認められ、<証拠>中この認定に反する部分は採用できず、他にこれに反する証拠はない。

1  土石流の実態については各地で調査が行われ、解明されていない多くの問題があるが、一般に山腹の地形や地質のほか降雨量との関係のあることが指摘されている。

2  土石流は山腹の勾配が二四度以上の斜面で多発し、風化花崗岩、火山灰、第四紀層、破砕帯等の発達している地域に多く、渇水期に流水のなくなる河川では溪床に堆積物が溜まり易いため土石流発生の危険性が高く、等高線の乱れた崩積地形からは過去の土石流の発生が推定される。

3  その発生のしくみは、降雨時に河道が木の根などにより一時的にせき止められてここに土砂が溜まり、これが一挙に流下することによる場合が多い。

4  土石流は、連続降雨量が一五〇ミリメートルを越えると発生し始め、三〇〇ないし四〇〇ミリメートルの間での発生率が最も高く、前期降雨量(右の連続降雨より以前二週間以内の総雨量)との相関関係もみられ、日雨量二〇〇ミリメートル、三時間雨量一〇〇ミリメートル、一時間雨量一〇ないし二〇ミリメートル以上、一〇分間雨量五ミリメートル以上で発生率が高い。

四当裁判所の判断

1 請求原因2項のうち被告県に対する(一)の主張(地方自治法上の責任)について

不作為による不法行為の前提となる作為義務は、個々の被害との関係において具体的・個別的に検討すべきものであり、抽象的・一般的権限又は義務を定めた規定については、個々の事案において明白かつ差し迫つた危険が存在するなど特段の状況が認められる場合に限つてその違反による不法行為が成立するものと解すべきところ、地方自治法二条三項一、二、一二号は地方公共団体の国民全体に対する政治的責務を規定したものであり、それは一般的な権限又は義務であり、個々の国民に対する法律上の具体的な義務ではないから、その不行使又は不履行をもつて直ちに右の具体的な作為義務に違反するものというべきではない。

よつて、これに反する独自の見解を前提とする原告の右主張は理由がない。

2 同(二)(1)の主張(知事の権限の不行使)について

本件災害発生以前の状況(前記二の事実)を土石流発生に関する一般的知見(前記三の事実)に照らし、本件災害発生以前の時点において、原告らが主張するように明白かつ差し迫つた危険が存在したかどうかの点について検討する。

前記二の事実のうち、本件堰堤付近から上流部の山腹は、地表面の風化が進み、本件堰堤付近では等高線が乱れ、その周辺部には過去の山腹崩壊による土砂の崩積層がかなり分布し、本件河川上流部の溪岸には浸食による極めて少量の土砂の流出した状況が認められた点は前記三の知見に合致するものの、前記二の事実のうち、本件河川の平均勾配は標高一〇〇メートル以上の部分が約二〇度で、それより下流の部分が約一八度であり、周辺の他の山腹と比較して急傾斜とはいえず、本件工事に着手する時点において、本件河川付近では新たに山腹の崩壊した状況はなく、溪床には不安定な土砂の堆積も認められず、本件災害以前において被害の発生を伴つた土砂崩れなどが発生した事実も知られていない点については、同三の知見には合致しないことが明らかである。

右の事実によれば、本件災害発生以前においてその発生につき明白かつ差し迫つた危険な状況が存在したものとは到底認めることができないものというべきであり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

よつて、右危険の存在を前提とする主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

3 同(二)(2)の主張(知事の工事施行者としての注意義務違反)について

前記二の事実によれば、被告会社は本件工事によつて掘削された土砂の残土を本件堰堤の上流右岸側に置いていたが、これは建設省河川砂防技術基準に沿うものであり、また右の残土は本件災害後もほとんど流出せずにそのまま残つていたことが明らかであり、本件災害の原因となつた土石流にまき込まれてこれが下流へ押し流されたことを認めるに足りる証拠はないから、右の主張は理由がない。

4  同(三)(1)の主張(設置の瑕疵)について

原告らの右主張は、要するに知事は本件災害の発生以前にその原因となつた土石流を防止するに足りる堰堤を本件河川に設置しておくべき義務があつたのにこれに違反したものであるから、本件堰堤の設置には瑕疵があるというものと解される。

しかしながら、前記2判示のとおりの本件災害発生以前の状況からは右義務の存在を認めることはできず、右の主張は理由がない。

5  同(三)(2)の主張(管理の瑕疵)について

前記3判示のとおり、本件堰堤の上流側に置かれていた残土が本件災害の原因となつた土石流にまき込まれたことを認めるに足りる証拠はなく、右残土が本件堰堤の効用を阻害した事実を認めるに足りる証拠もないから、右の主張は理由がない。

6  請求原因2項のうち被告会社に対する(一)の主張(残土の放置)について

前記3判示のとおり右の主張は理由がない。

7  同(二)の主張(安全配慮義務等違反)について

一般に工事を施行する者には、工事の施行中における樹木の伐採、地盤の掘削など通常時とは異なる不安定な状況に起因する危険等の発生が予想される場合には、付近住民の安全に配慮しこれを回避する適宜の措置を講ずべき義務があるものと解するのが相当であるが、前記二の事実によれば本件災害は本件工事施行中の不安定な状況に起因するものではないことが明らかであり、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、右の主張は理由がない。

五そうすると、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(中川敏男 上原健嗣 小田幸生)

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